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名古屋地方裁判所 昭和44年(ワ)2518号 判決

原告 大越俊彦

右訴訟代理人弁護士 高木修

被告 株式会社名古屋相互銀行

右訴訟代理人弁護士 若山資雄

同 吉田司郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対して金三、六八〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四四年九月七日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、次のとおり請求の原因を陳述した。

一、原告は肩書地において、かねてより大越組なる名称のもとに建築業を営み、その請負工事金額は年間数十万円に達していたものである。

二、訴外阿賀岡和康は訴外名古屋港トラック事業協同組合の会計担当者であったが、右組合が被告の港支店と金融取引上の有力な顧客であったことを利用して組合員の訴外合資会社丸和運輸のため金融上の便宜を計ってやり、若干の礼金を得ようとし、被告港支店に丸和運輸の代表者下社和吉を同道して赴き、下社を原告であると偽って原告を無限責任社員とする合資会社大和運輸なる名称で被告との取引の申込をなした。

三、被告はその際銀行取引申込書類のもっとも重要な付属書類である合資会社大和運輸の商業登記簿謄本、印鑑証明書等を添付若しくは確認照合することなく、直ちに銀行取引を承諾して、同銀行発行の小切手帳、手形帳を手交し、その後も右商業登記簿謄本の追完を求めることもしなかった。

四、このため訴外阿賀岡、下社両名は右手形帳、小切手帳の用紙を用いて合資会社大和運輸大越俊彦なる名義で手形、小切手を乱発した。

五、原告はたまたま自己名義の手形、小切手が乱発されている事実を知り、阿賀岡、下社に詰問したところ、右両名はその事実を認めながらも、既発行の手形額面合計金四、八八〇、〇〇〇円については原告に決して迷惑をかけないと確約し、その担保として訴外オリエンタル工芸振出、訴外組合裏書の手形二通額面いずれも金二、五〇〇、〇〇〇円を原告に提供した。

そこで原告は組合としてその責任を担保していてくれるものと信じていたのであるが、阿賀岡、下社は勿論、右組合も何の手当もしなかったので、期日が経過し、結局昭和四一年九月三日合資会社大和運輸名義の手形が不渡となった。

六、この点について、原告は直ちに被告に対しその責任を追及するとともに、原告が銀行取引停止処分をうけないように何らかの手当をし、方策を講ずるよう依頼したが、被告はこれを放置し、拱手傍観していたため、結局原告も同時に銀行取引停止処分をうけ、次のとおり多大な損害を蒙った。

七、損害額(合計金三、六八〇、〇〇〇円)の明細は次のとおりである。

(一)大林組関係

当時原告は大林組の下請業者である千成組の下請として日生鳴海アパート新築工事をしていたがその工事量は次のとおりである。

昭和四一年一〇月一三日

主体コンクリート打工事等 一、九三一、〇〇〇円

同年一〇月二三日

仮設土工手伝工事等 九〇、〇〇〇円

同年一一月二〇日

捨コン上端清掃工事等 一〇九、〇〇〇円

同年一二月一九日

コンクリート打設片づけ工事等 六三、六〇〇円

原告は右の各工事をもっておりこれは以後同じように月商一、八〇〇、〇〇〇円内外の下請工事(利益にして月一四〇、〇〇〇円)は継続していることが明らかであったところ、本件により契約差止めになった損害は向う一〇カ月間最低金一、四〇〇、〇〇〇円を下らない。

(二)西谷建設関係

当時原告は訴外西谷建設の名古屋市中川区のガソリンスタンド設置の下請工事をしていたが、本件に関連して原告が資金ぐりが悪化し、このため工事期間がおくれ金三〇〇、〇〇〇円の弁償金を支払った。更にこれに関連して工事のやりなおしを命ぜられ、基礎ボルトの取替、コンクリート打替に一カ月程再工事をしその間の出費は金二四〇、〇〇〇円を下らない。

(三)綜合建築関係

当時原告は伊藤鉄工所外数カ所の工事をもっていたが、その受注量は金一、六〇〇万円を下らず、前記千成組関係の仕事をのぞいても一カ月金六〇〇、〇〇〇円の工事量でその収入は二割を下らないところ、一カ月の収入金一二〇、〇〇〇円となる。本件により原告は倒産したため将来にわたり一カ年は再起不能であったから、その間の損害は金一、四四〇、〇〇〇円となるが、内金一、二八〇、〇〇〇円を請求する。

(四)金利

銀行取引停止処分をうけたため高利貸より手形割引をうけるほかなくそのために金二〇〇、〇〇〇円の損失を蒙った。

(五)慰藉料

本件により犯罪の疑をうけ逮捕されたため取引先等に信用を失墜したほか、取調のために蒙った有形、無形の肉体的精神的損害を慰藉するためには金八〇〇、〇〇〇円を相当とするが、その内金三〇〇、〇〇〇円を請求する。

八、以上の原告の蒙った損害は被告が銀行取引開始につき当然必要とされる業務上の義務を完全に遂行しなかったために生じたものであるから、被告に対し以上合計金三、六八〇、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四四年九月七日より完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

立証〈省略〉

被告訴訟代理人らは主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告の請求原因一は不知、二のうち訴外阿賀岡和康が訴外名古屋港トラック事業協同組合の会計担当者であったこと、右組合が被告の港支店と取引があったこと、合資会社大和運輸なる名称で被告との取引(当座取引)の申込があったことは認めるが、その余の事実は不知。(訴外阿賀岡は会計担当者として被告銀行港支店に出入し知合であった。)三のうち被告において合資会社大和運輸なる名称で当座預金取引を承諾した事実は認めるが、原告主張の商業登記簿謄本、印鑑証明書等の受入れはこの場合重要な事項ではなく、被告はこれが受入を法律上義務づけられているものではなく、またその責任あるものでもない。しかし本件の場合これを追完提出することを約したことは事実である。(当座取引はいうまでもなく所謂客が小切手手形等を振出す便宜のためなされるものであり、銀行はその客に対してなんら金融等を行うものでないから、銀行には毫も危険負担はない。ただ銀行は自身の信用関係において一応その客を確認するためそれが会社等法人の場合はその旨の登記簿謄抄本、印鑑証明書等を受入れるにすぎないのであって、従って他の方法によって確認することもあり、また後に右書面を追完させることも自由であって銀行はこれに関しなんらの義務、責任を負うものではない。)四は不知、被告の調査によれば合資会社大和運輸なる会社は登記簿上存在しない。五は合資会社大和運輸振出名義の手形で不渡となったものがあることは認めるが、その余の事実は不知。六、七は全部否認ないし争う。

二、被告銀行の合資会社大和運輸についての調査義務は担当銀行員が当座勘定取引契約締結に際し銀行に対する業務の取扱上定められたもので、合資会社大和運輸と第三者との手形、小切手取引に関し定められたものではない。仮に厳重な調査をしたところで当座取引契約締結の相手方たる預金者が資金を考慮しないで手形、小切手を乱発したときには、銀行は資金がないのであるから如何ともなしがたい。調査義務懈怠と原告の損害発生の間には民法上の因果関係はない。

三、原告は預金係たる被告銀行員が調査義務を怠り、当座取引契約を締結し、手形帳、小切手帳を合資会社大和運輸に交付した点に不法行為があるというのであろうが、被告銀行は手形帳、小切手帳を交付するに当ってこれにつづり込まれた用紙を使用して振出される手形・小切手を将来取得するであろうすべての第三者に対し振出人の実在信用を調査する義務が課せられているわけではない。当座勘定取引契約は振出人と支払人との間の資金関係を定めるものであって、その効果として支払人が手形、小切手支払義務を負担するものであり、この場合支払人たる被告銀行は資金権利者たる振出人に手形帳、小切手帳を交付し、この帳の用紙によって手形、小切手が振出されるのが普通である。従って手形帳、小切手帳の交付に当っては、被告銀行と交付を受けるものとの間に資金関係はなければならないのであるが、手形、小切手の振出し(呈示は勿論)の際にまで資金関係が存在しなければならないとすることはできない。このことは資金権利者が資金関係を考慮しないで手形、小切手を乱発する場合或いは当座取引契約解約後、手形帳、小切手帳の返還を求めることが不可能であることによって明白である。ことに手形小切手を振出すに当って資金が存在することは必要でなく、呈示のときに存在すれば足りるからなおさらである。そしてこの資金関係は資金権利者名義人との間に存在すれば足りるのであるから、名義人が実在するか信用があるかどうかという点までの調査義務を銀行に課するわけにはいかないのである。所謂被告銀行には不法行為責任は存在しない。

四、原告の主張事実によれば、訴外阿賀岡、下社両名は本件手形帳、小切手帳の用紙を用いて合資会社大和運輸なる名義で手形、小切手を乱発したというのであるが、そうだとすれば、右振出された手形小切手は原告の関知しないものであるから、法律上原告にこれが支払義務ある筈はなく、従って原告が右手形、小切手の金額の損害を蒙ったというのは全く失当というほかはない。

五、なお、被告銀行と合資会社大和運輸との間には、当座勘定取引契約による資金関係はもとより存在したのであって、交換支払ずみとなった小切手も存在するのである。

立証〈省略〉

理由

訴外阿賀岡和康が訴外名古屋港トラック事業協同組合(以下訴外組合という)の会計担当者であったこと、訴外組合が被告銀行港支店と取引があったこと、合資会社大和運輸なる名称で被告銀行との当座取引の申込があり、被告銀行がこれを承諾したこと、合資会社大和運輸振出名義の手形で不渡となったものがあることについては当事者間に争がない。

〈証拠〉を綜合すると次の事実が認められる。

一、訴外阿賀岡和康は合資会社丸和運輸(代表者下社和吉)のため金融上の便宜を計ろうと企て、被告銀行港支店に訴外下社和吉を原告と偽って同道し、原告を無限責任社員とする合資会社大和運輸なる名称で被告銀行との当座取引の申込をなした。

二、被告銀行港支店、支店長代理加藤菊次郎は訴外下社を原告であると誤信し、訴外阿賀岡が訴外組合の会計担当者であることから、合資会社大和運輸は設立準備中のため登記簿抄本は追完するとの同訴外人の言を信用して、登記簿謄本、印鑑証明書等の提出のなされないまま合資会社大和運輸との当座取引を承諾して被告銀行発行の小切手帳、手形帳を訴外下社に交付した。

三、原告はたまたま原告名義の手形、小切手が乱発されている事実を知り、訴外阿賀岡、同下社に詰問したところ、同訴外人らはその事実を認め、既発行の手形額面合計金四、八八〇、〇〇〇円について原告に迷惑をかけない旨確約し、原告に対し念書(甲第一号証の九)を差入れ、訴外オリエンタル工芸振出の手形二通(額面各金二、五〇〇、〇〇〇円)を提供した。

四、ところが、訴外阿賀岡、同下社の両名はもちろん訴外組合も当座の資金につき何等の手当もしなかったため、期日を経過し、昭和四一年九月三日合資会社大和運輸振出名義の手形は不渡となり、原告も銀行取引停止処分を受けるに至った。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

原告は被告銀行が銀行取引開始につき当然必要とされる業務上の義務を完全に遂行しなかったために、右のごとき事態に陥り損害を蒙った旨主張する。

およそ、銀行員が当座取引開始に当たって相手方の信用状態を調査する義務があるか否かについては否定すべきものと考える。けだし当座預金は預金者が手形、小切手を振出す便宜のために設定されるものであって、銀行が金融を行なうものではないから、銀行員としては相手方の信用状態を調査する義務なきものというべきであるからである。通常、銀行において当座預金設定者の印鑑証明(法人であれば登記簿謄本)を徴するのは、銀行自らの信用のため相手方を確認する銀行内部の業務取扱上の必要からにすぎず、銀行員が手形帳、小切手帳を交付するに当って振出人の実在、信用を調査する義務ありとは解せられない。手形契約、小切手契約は振出人と支払人との間の資金関係を定めるものであって、その効果として支払人が手形や小切手の支払義務を負担するのであるから、銀行と手形帳、小切手帳の交付をうけるものとの間には資金関係が存在しなければならないことはいうまでもない。しかし資金権利者が資金関係を考慮しないで手形、小切手を乱発する場合に、銀行としては手形帳、小切手帳の返還を求めることはできないばかりか、資金関係は手形、小切手呈示の際に存在すれば足りることより考えると、当座の名義人が実在するか信用があるか否かの点まで銀行に調査義務があるとは解せられない。従って被告銀行港支店の支店長代理加藤菊次郎が本件当座預金開設にあたり訴外合資会社大和運輸(代表者大越俊彦)の登記簿謄本、印鑑証明書未提出のまま追完を約したのみで当座を設定し、手形帳、小切手帳を訴外下社に交付したことを目して過失ありとは解しがたく、原告の主張は失当というべきである。

なお、原告は被告銀行に対し銀行取引停止処分を受けないよう方策を講じてくれと依頼したのに、被告銀行では拱手傍観していたため原告は銀行取引停止処分を受け、損害を蒙った旨主張する。

しかしながら、銀行取引停止処分を受けるに至ったのは訴外大和運輸こと大越俊彦名義の手形が不渡となった結果であって、弁論の全趣旨よりみて原告において被告銀行に対し、訴外大和運輸こと大越俊彦名義の当座は自己の関知しないもので訴外阿賀岡、同下社の共謀によるものであることの証拠資料も提出せず、漫然銀行取引停止処分を免れる方策を講ずることを依頼したと認められる本件においては、被告銀行としてはなんらの措置をも講じえないこというまでもなく、なんらの措置を講じなかった被告銀行に債務不履行ないし不法行為(過失)の責任があるとも解せられないから、原告の右主張も採用できない。

よって、被告銀行に損害賠償義務があるとの原告の主張は採用しがたく、損害の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当として棄却すべきであるから、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 黒木美朝)

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